レッドツェッペリンの凄いところ。〜ハードロックというスタイルを完成させたバンド。〜

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レッドツェッペリン。昭和生まれのロックファンには当たり前の存在ですが、若いロックファンにはよく知らないバンドかも知れません。しかし、今のハードロックという音楽はレッドツェッペリンに始まって終わったとまで言えるかも知れないレジェンド中のレジェンドバンドです。
2025年秋にそのドキュメンタリー映画が公開されるとのことなので、昭和のロックファンは放っておいても見に行くでしょうが(笑)、若いファンにも是非見てほしい映画に違いありません。
そこで、レッドツエッペリンのどこが凄いのかというところを独断と偏見をまじえてご紹介します。

レッドツェッペリンの誕生

まず最初にレッドツェッペリンがどのように誕生したかというこのバンドの背景を知っておくのはこのバンドの音楽性やマインドを知る上で重要です。レッドツェッペリンの前身は第3期のヤードバーズです。この第3期というのは私が勝手に名付けましたが、ヤードバーズというバンドは3人のレジェンドギタリストが関わっていて初代(=第1期)がエリッククラプトン、その次(=2期)がジェフベック、そして最後(=3期)がジミーペイジです。2期と3期の間にはジェフベックとジミーペイジが2人とも在籍していた時期があります。

さて、ジミーペイジひとりになったヤードバーズでは、それまでと違ったジミーならではのアプローチが見られます。ジミー在籍時のアルバム「リトルゲイムス」を聞くとレッドツェッペリンにつながるような多彩な音楽性が見られます。また、ライブではDazed And Confusedなど後にレッドツェッペリンのナンバーになった曲も既に演奏されています。逆にレッドツェッペリンになってからも初期のライブではTrain Kept A Rollin’などヤードバーズ時代のナンバーが演奏されていたりします。実際レッドツェッペリンは最初New Yardbirdsと言う名前で1度ツアーもしたようで、そこで演奏された曲なども1stアルバムに収められたようです。
しかし、ジミーの描くバンドのイメージからするとヤードバーズのメンバーでは合わないと思ったようで、新たに集めたメンバーで名前もヤードバーズを引きずるのではなく(権利問題もあったようですが)レッドツェッペリンと改めました。蛇足ですが、この時期のヤードバーズのツアーローディの中には後にエアロスミスを結成するスティブンタイラーが居たとタイラー自身がインタビューで答えています。

この時期、ジェフベックはロッドスチュアートをボーカルに据えたジェフベックグループで活動し、エリッククラプトンのクリームは解散しようかという頃。こういった流れの中で1968年レッドツェッペリンが誕生したわけです。翌年の1969年にはアメリカでウッドストックフェスティバルが開催されます。まさに新しい音楽や文化があちこちで勃興しつつあった時代です。

またジミーペイジ個人に焦点を当てると、ジミーは早くからロンドンの売れっ子スタジオミュージシャンとして活躍し様々なレコードで演奏していました。つまりいろいろな音楽を体験しながら音楽ビジネスの世界にも精通していったわけです。そういった経験が後のレッドツェッペリンの結成や運営に生きているのでしょう。逆に言えばそういう経験によって培われた見識と発想があってこそビジョンやコンセプトがつくられレッドツェッペリンを総合的にプロデュースできたとも言えると思います。

ちなみにその頃の日本はというとグループサウンズがそろそろ終焉を迎えようとしている頃、1ドル360円の固定相場の時代で高度成長期に陰りが出てき、その集大成のように1970年に大阪で万国博覧会が開催されます。やがてグループサウンズが下火になりその選りすぐりのメンバーで1970年に結成されたPYGも不発に終わります。つまり日本でも文化や経済が新しい場面へ転換しだした時代だったと言えます。日本のロックの転換点はと言えばその5年後の1975年ワールドロックフェスティバルではないでしょうか。
レッドツェッペリンは日本には1971年の9月にやって来ます。今と違って海外のアーチストが来日するのは珍しい時代。レッドツェッペリンの初来日では広島で公演を行い全額を原爆記念館に寄付したという話題が有名です。それはメンバーたちのたっての希望によるものだったそうです。

レッドツェッペリンの凄いところ。

4人がそれぞれの分野での達人。

大概のバンドでは1〜2名のスターがいて、その他のメンバーは目立たなかったりいつの間にか交代したりというのが多い中で、レッドツェッペリンはそれぞれがその分野の達人だということです。スーパープレイヤーの集まりだったわけです。
ボーカルのロバートプラントはハイトーンによるロックボーカルの雛形を作ったともいえるし、ジミーペイジは従来から売れっ子ミュージシャンでありヤードバーズのスタープレイヤーでした。ジョンボーナムは未だにロック史上最強と語り継がれるほど驚愕のテクニックと個性でこれまたロックドラムの雛形をつくりました。ベースのジョンポールジョーンズもジミーと同様に売れっ子のスタジオミュージシャンでベースだけでなくキーボードもプレイします。ジェフベックのアルバムでジミーと共にプレイしていたりもします。
こういったスーパープレイヤーの集まりだったからこそジミーのアイデアをさらに昇華させて未体験の音楽スタイルを作れたのだと思います。ジョンボーナムの死によって活動が中断し結局解散となった理由には、ひとりが欠けてもレッドツェッペリンは成立しないというのもあったのではないでしょうか。

Charさんが初めてレッドツェッペリンのライブを見たときに、演奏がレコードと全然違うことに「スゲェ!と思った」と言っていましたが、そんな演奏ができていたのも達人の集まりだからでしょう。

ハードロックというスタイルを様式化、もしくは完成させた。

ドラムがビートを刻み、その上にベースとギターがユニゾンでリフが乗り、ハイトーンのボーカルとギターソロが対峙するように展開するという典型的なハードロックスタイルを半ば完成させたのがレッドツェッペリンだと言っても過言ではないと思います。ボーカルとギターが対峙するスタイル自体は、ジェフベックグループが先で、ジミーペイジはジェフベックグループのアメリカツアーについて行って確信したと言っていましたが、当時のジェフベックグループはブルースロックのスタイルでした。ジェフベックは「ジミーは俺たちのアイデアを盗んで上手くやりやがった(笑)」と言っていました。

ジミーペイジが楽曲からメンバー集め、レコーディング、ステージング、ステージ衣装、契約に至るまで、すべてをプロデュースした。

1968年という時代を考えたときにこの事実も凄いのですが、ジミーペイジの自伝によるとレッドツェッペリンはジミーペイジの頭の中にかなり緻密に構想があったそうです。それは音楽だけでなく衣装やステージング、アルバムづくりからビジネスに至るまでです。当時ジミーペイジは若干24歳の若者です。そんな若者がビジネス展開のイメージまで描いていたのは驚きであり、その通りに実現したのはさらに驚きです。ギターを低い位置に構えて演奏するスタイルも計算の上での事だそうです。

ファーストアルバムはジミーペイジが自腹でレコーディングし、その音源を元にレコード会社と契約交渉し、音作りには口を出さないという契約を獲得した。

前項とも関連しますが、ジミーの自伝によると、レッドツェッペリンの1stアルバムはジミーの自腹でレコーディングし、その原盤をもってレコード会社と契約交渉したそうです。そして、レコード作りに金は出すが一切口は出さないという契約を取り付けたのだそうです。凄いですね。だから、1stアルバムは契約前に作られていたものなのですね。それだけ成功の確信があったのでしょう。その背景には、ジェフベックグループの初のアメリカツアーについていって、ロッドスチュアートとジェフベックが対峙する形で演奏するロックが大受けしているのを目の当たりにしたというのも大きいと思います。

音楽性が多彩。

レッドツェッペリンは、ハードロックバンドと言うイメージですが実はアコースティックも多用しており、その音楽性は実に多彩です。ジミーペイジは、イギリスのフォークミュージックも好んでいてジョンレンバーンやバートヤンシュなどのフォークミュージシャンにもインスパイアされています。
ヤードバーズ後期のWhite SummerやレッドツェッペリンのBlack Mountain Sideといった楽曲は、そう言ったフォークの丸写し(パクリとも言う 笑)と言っても過言ではない内容です。他にもレインソングなどの、ハードロックとはイメージの違う楽曲も有名です。
当時好きなミュージシャンとしてCSN&Yを上げていたことからもアコースティックなサウンド志向は常にあるようです。また、後期のアルバムにはカントリースタイルやサンバスタイルの楽曲があったりします。ただ、そういうハードロックらしくないスタイルを取り入れてもレッドツェッペリンらしくなっているのはさすがです。カントリーフレイバーについては初期の演奏でもときどき顔をのぞかせています。また、テルミンを始めギターをバイオリンの弓で弾いたり、ダブルネックギターを使ったり(ジミーがギブソンに発注してつくったそう)、変則チューニングを多用したりと演奏の仕方も多彩です。

天国への階段はカラヤン曰く「クラシックのオーケストラで演奏する際も再アレンジの必要がない名曲」。

レッドツェッペリンの中の名曲といえば筆頭に上がってくるのが「天国への階段」ではないでしょうか。組曲形式になっている長い曲ですが、叙情的で幻想的でドラマチックで、ジミーペイジの音楽性の豊かさを感じれる曲です。クラシックの巨匠カラヤンは「クラシックのオーケストラで演奏する際も再アレンジの必要がない名曲」と評したそうです。下の紹介する2枚組みのDVDを見ても感じることと思いますが、ジミーペイジのソロ演奏を見ていると単なるギタリストではなく「音楽家」という事を強く感じます。

解散後

ジミーペイジはポールロジャースと短期間のバンド「ファーム」で活動したりしましたが、特に主だったバンド活動はせず、あちこちのセッションやイベント的に参加するという活動に終始しています。

ジミーペイジの自伝。
レッドツェッペリンになる経緯や
思いなどが詳しく書かれていて、
いかにジミーが戦略的であったかが分かります。

アルバムはどれを聴くべきか

アルバムはライブを含めて10枚でていてファンにはそれぞれ魅力的でしょうが「まずレッドツェッペリンを知るには」といえばやはり「レッド・ツェッペリン I」「レッド・ツェッペリンⅡ」ではないでしょうか。そして3〜5と聴きすすめていくのがよいと思います。
また、ライブ映像はアルバムでも出ている「永遠の詩 (狂熱のライヴ)」もありますが「Led レッドツェッペリンpelin」という2枚組みのDVDを見る方がレッドツェッペリンの真価が分かります。映画を見るなら、これらのアルバムやDVDを見て予習復習してから行くと一層楽しめるのではないでしょうか。

レッド・ツェッペリン I

1969年1月発表。ヤードバーズやニューヤードバーズとしてツアーで演奏していた曲などを中心に制作されたと言われるアルバム。ジミーペイジが費用をすべて負担したそうです。内容は幾分ヤードバーズ的なブルースの匂いが残るもののGood Times Bad Timesのように新しい感覚の楽曲が聴けます。レッドツェッペリンのサウンドはハードロックと言ってもヘビーな音で埋め尽くされているのではなく、どちらかと言えば隙間のあるというか空間のあるサウンドです。このアルバムは同時期のジェフベックグループもアルバムに入れているYou Shook Meやヤードバーズのリトルゲイムスに収録されているWhite Summerと同じ変則チューニングのアコースティックナンバーでしかも共にトラディショナルフォークの焼き直しのようなBlack Mountain Side、ヤードバーズのライブでも披露していたDazed and Confused(これもパクリ疑惑がある)などが収録されていることです。You Shook Meはロッドスチュアートが歌うジェフベックグループバージョンと聞き比べても面白いと思います。世間ではジミーペイジがジェフベックグループのスタイルをパクったなどと言われていたりしますが真相は知りません。

Good Times Bad Timesは、天才的ドラマーのYoyokaちゃんが8歳の時に撮ったフルコピー動画が世界的に有名になりました。ロバートプラント自身もそれを見て素晴らしいと絶賛していました。ドラマー的には8歳の女の子が難しいバスドラの頭抜き3連を難なくやっているのに驚嘆したことでしょう。

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レッド・ツェッペリン II

1969年10月発表。アメリカツアーの合間を縫って行く先々のスタジオを使って制作されたというアルバム。ツアーの合間のホテルで作曲しながらあちこちで録音したとのことで、時間がなかったのかパクリ疑惑の

Whole Lotta Love はレッドツェッペリンの代名詞のように有名になった曲で、ある面ハードロックの典型とも言えるリフが特徴的です。この曲はテルミンを使っていることでも有名で、この辺りもジミーペイジの多彩さが伺えます。余り話題にならない曲ですがWhat is and What Should Never Beは、この時代に9thや特に13thなど当時のロックではあまり使われないコードを大胆に使った楽曲で、組曲のように場面が変わります。最後のセクションでジミーのギターのリフを追いかけてドラムが入ってきますが、普通ならバスドラを入れてしまうようなところであえてバスドラを使わないセンスが凄いと思います。
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レッド・ツェッペリンⅢ

1970年10月発表。過去2枚に比べてアコースティックなサウンドが聴かれるアルバムですが、このアルバムのインパクトはなんと言っても1曲目の Immigrant Song です。たったひとつの音をオクターブで繰り返し弾いているだけなのになぜここまでカッコいいのか!これはもうセンスとしか言いようがありません。(02) その他、アコースティックで不思議なムードのFriends、カントリーテイストのGallows PoleTangerine、(09) Bron-Y-Aur Stompなど、いわゆるハードロックとは異なる新しい世界観が聞かれるアルバム。

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レッド・ツェッペリンⅣ

1971年11月発表。何もタイトルが書かれていないことが話題になったと共に名曲が目白押しのアルバムです。このアルバムでの目玉はやはり「天国への階段」ではないでしょうか。そしてBlack Dogの実験的な構成も驚きでした。3拍子と4拍子が同時に進行して12拍目に一緒になるという面白い構成は、初めて聴いたときには驚きと共に「こんなのも有りなのか」と感激したことを憶えています。しかもカッコイイ。なんという曲を作るのだと思いました。
このアルバムは古いお城で制作されたそうで、ジミーペイジの自伝によるとボーナムのドラムは階段の踊り場でマイク2本だけで収録したとのこと。その理由について」ボーナムのドラムのサウンドは空気が重要でそれを録りたかったから」と書いています。ちなみに「天国への階段」はその屋敷の暖炉の部屋でつくったそうです。

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