学校教育の音楽と洋楽の違和感。

カルチャー
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〜「クラシックが基本」という間違った刷り込み〜

中学校時代の体験

小中高の音楽授業の現状は知りませんが、昭和世代の学校の音楽授業は、いや音楽授業はと言うより世間の認識として「クラシックは音楽の基本」みたいなものがあったと思います。だから我々が好むような洋楽は邪道お遊びであると。「軽音楽」という言葉からもその扱いが分かりますね。少なくとも私自身はそう言う認識で育ってきました。

中学の頃に、小さい頃からピアノを習いクラスの合唱コンコールの編曲などをやっていたようなクラスメートが私たちがギターをやっていることを知り、一緒に演奏して遊ぼうという話になり、彼の家にギターを持っていたのです。そして、ガロの学生街の喫茶店やフォークソングなどを一緒に演奏したのですが、あれ?みたいな、なんか全然違う、文部省唱歌のような学校の音楽授業の時間のようになってしまって(笑)、まったく楽しくなく帰ってきた体験があります。

刷り込みの中での違和感

これは個人的な問題かも知れませんが、大人になってもどこかに「クラシックは基本」という刷り込みがぬけておらず、友人のクラシック演奏家(初見で演奏でき、自治体の楽団に所属して海外公演などもおこなっていた)がアドリブができないというのにおどろいたりしました。

おっさんになってバンド活動を再開して、やっと「クラシックは基本」というのはまったく歪んだ思想だということをちゃんと認識しました。というのも、アマチュアで特にピアノ奏者のクラシック出身の方の演奏が、全然我々とノリが違う人が多いということです。アマチュアで、ロックやジャズのピアノを弾ける人は少なく、大概がクラシックを習っていて、ちょっとジャズみたいなものも弾くという感じ。それもバンドでやるというよりは、ピアノで好きな曲を弾く中にジャズやロックの曲もあるという感じでしょうか。

そういう場合は、概ねバンドのアンサンブルとはかけ離れたもので、メロディを中心として弾くだけで、ジャズやロックのノリはないわけです。そのまま、バンドに入って弾いてもまるで噛み合わないというか、そもそもバンドのアンサンブルの考え方やリズムの捉え方が違うわけで、そういうことは言葉では説明できるものではなく、「なんか違う」としか言いようがないものでした。「基本」をちゃんとやってきた人だから何でも弾けるはずだという変な期待感はことごとく崩れるのでした。結局、聴いてきた音楽が違うとやはりそこから身に染みているものが違うという事でしょうね。

TVで人気の某ピアニストが、再現することが目的のクラシックと創造することが価値の軽音楽では、音楽の本質が違う的な事も言っていましたし、クラシックと軽音楽ではテンポについての考え方がまるで違うと言っていました。そうなのです。クラシックもひとつの音楽、ジャズやロックもまた別の音楽なのです。

洋楽がまだ、少数派だった頃。

主には、やはりリズムの取り方とコードが違います。クラシックでは「コード」という考え方はしないそうですしね。やはりジャズ的なハーモニーがジャズの魅力ですし、メロディの弾き方もジャズやブルースではクラシックでは間違いとされるような弾き方をします。ロックだとクラシックにはない和音の組み立て方や音質などがあり、それがかっこよさを生んでいるわけです。
その辺のことを知ったのはかなり経ってからで、自分が「クラシックは音楽の基本」という間違った観念にいかに縛られていたかを知りました。子供の頃に母親がそう言ったからかも知れません。ちなみに私の母親は音楽の知見は何もありません。随分無責任なことを言うものです(笑)

中学の頃に、音楽の時間にギターを持ってきて当時流行っていたフォークソングなども授業でやってくれた女性の先生がいました。当時、某超有名フォークグループのメンバーとも友だちだというその先生が当時はとても異端に思えました。その先生は後にジャズ歌手として活動をされていると聞きました。

70年代の日本

まだまだ海外の情報など薄かった1970年代当時の普通の学校の普通の音楽先生に、洋楽の本格的な知識があるはずもなく「音楽の基礎」としてクラシック的な解釈の音楽が僕らに擦り込まれてきたのですね。多感な時期にそうやって学んで染みついてきたために、なかなか黒人のノリは理解できませんわね。手拍子をすると1拍3拍の文化ですし。日本はとかく権威主義なので、ジャズのような大衆音楽より宮廷音楽だったクラシックの方が上等で優秀とされます。それにはおそらく明治維新以来の日本の文化の変遷の背景があるのだと思いますが、とにかく特に70年代当時は、ロックやジャズは不良がやる音楽だったので学校で扱うはずもありません。とにかく一般的には、洋楽に関する情報や認識が今とは比べものにならない程薄かった(低かった)のです。

音楽の楽しさとは

現在の学校の音楽教育がどうなのかは知りませんが(さすがに半世紀も経つと進化しているとは思いますが)、もしまだ「クラシックが基本」という調子で行われているなら、洋楽がお好きな若い人は「それはそれ」という風に考えた方が良いと思います。決して音楽全体の基本ではない。「クラシックが基本」でやっていたら、あのかっこよさには成れないと思います。
「クラシックが基本」ではなく、あれは「クラシック”の”基本」なのです。ジャズやロックの基本はまた違うと思います。カッコイイ音楽をやっている黒人のミュージシャンの多くは、クラシックの教育など受けていないでしょうしね。少なくとも貧しい生活の中から自分たちの音楽を編み出した元祖の人達は受けるはずがありません。クラシックは元々宮廷音楽だったワケですから世界が違いますしね。

音楽の楽しさ、とくに我々洋楽好きの人の楽しさの大きな部分が、あの理屈で言えないカッコよさでありそれはビートとサウンドではないかと思います。歌詞は意味が良く分かりませんし、日本人にとっては英語の歌詞のリズムも格好良さの要素のひとつになっているはずです。70年代から半世紀近くが経ちますが、未だに日本人は洋学的にはノリが悪いなどと言われたりしますが、その理由の大きな部分を「クラシックが基本」によるものではないかと思っています。あくまで個人的な見解ですが。

時代は変わって、現代では日本からも世界的な活動をするミュージシャンが多数生まれています。海外で活躍する彼らは、日本と海外での違いを通り越して、逆に純日本的なものやその魅力も良く分かるかも知れません。でもまあ、そのくらいの活躍ができる人は、最初から人より優れた才能として音楽に関する感覚を供えているでしょうから、こういう問題はあまり関係ないのかも知れませんけど。

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